小舎人童の源氏物語日記

源氏物語を広めています。

桐壺・其の二 愛はすべてを奪う、、、かもしれない。

愛はすべてを奪う、、、かもしれない。



桐壺帝にはすでに弘徽殿の女御という右大臣の娘である后がいました。

右大臣は最高権力者。

弘徽殿は男子を産んでおり、

その子が皇太子になることは間違いないと思われていました。

 

そこにある日、桐壺更衣という大変美しい女性が入内して来ます。

桐壺更衣は帝の目に留まり、帝は昼夜問わず更衣の元へ通ったり、

または更衣を呼び出したりします。

 

この女性はかつては大納言をしていた亡くなった父親の遺言により、

母親が頑張って入内させたのです。

つまり、けっこう落ちぶれた家なのに、無理やり頑張ったということです。

 

ちなみに女御とか更衣というのは後宮の女性の地位の呼称です。

女御が上で更衣はその下です。

 

平安時代は女性は実家の力によって嫁ぎ先が決まり、

(通い婚なので実質お婿さんですが)その後ろ盾によって人生が左右されました。

それは女性全体にカーストがあるとしたら、

上臈(じょうろう)と呼ばれる頂点に立つ部類の女性

(家柄、知性、教養、美貌など全て持っている。)であるほど自立から遠く、

実家の影響が顕著であったことを物語っています。

 

娘を上臈に育て、権力者に嫁がせたり、入内させたりというのが、

藤原家が行っていた政治手法の一つでした。

このような時代背景がありながら、

フィクションであっても、そこに一石投じるような登場人物である桐壺更衣を、

紫式部は描いています。

 

そこには唐の玄宗皇帝と楊貴妃の実際に起きた事件がベースにありました。

実際に起きた中国の故事がベースだとみんな分かっているから、

不敬にならないわけです。

(色々勘ぐられても言い訳できますから。)

玄宗皇帝は楊貴妃に夢中になり、

彼女の親族を大きなポジションに取り立てたり、とにかく溺愛したため、

政治的に敵を多く作り、

楊貴妃は本人だけでなく一族まで政敵によって滅ぼされてしまいます。

その時に詠まれたのが例の「連理の枝」という有名な一節を持つ漢詩です。

(愛し合う二人は幹が一つの樹でありたいという意味ですね。)

 

つまり、王の愛情というのは、行き場がない。

好きな人と一緒になっておしまい。のハッピーエンドにはならない。

ということです。

あと、美人や美男子だったら幸せか、というのも微妙な感じですね。

親が娘を(あるいは息子を)自分たち一族のために飾り立てて価値をつける。

っていうのも、現代でもよくある話です。

こうなってくると、愛って何なんでしょうね。って思いませんか?

 

桐壺の巻っていうのは、源氏物語を最初から最後まで貫いている、

繰り返されるテーマを並べて見せている、すごく大切な巻なんですね。

源氏物語というのは、

光源氏が生まれてから、何を見て、生きて、変わっていくのか。

その成長の痛みを、読者が感じながら、一緒に歩いて行く物語なんです。

 

ここまでで、まだ彼は誕生していませんが、、、。