小舎人童の源氏物語日記

源氏物語を広めています。

桐壺・其の六 平安時代あるある

平安時代あるある

 

、、、ざっくりとあらすじを書きましたが、

皆様が疑問に感じるであろうことの一つに、

「皇子の暗殺なんてしたら罪に問われるのでは?」

というのがあると思います。

歴史の年表を確認すると、古代日本、飛鳥・奈良時代には、

皇位継承権をめぐって争いが絶えず、

もっともらしい理由で罪を着せられたり、

罠にはまって謀反人にされたりで亡くなる皇子はとても多かったのです。

 

源氏物語」では、後宮での女の闘いを描くことで,

実際の政権争いを浮かび上がらせています。

桐壺帝の后である弘徽殿女御は右大臣の娘で、

后の中で最初に男子を産んで、

その子は皇太子になると思われていますから、

右大臣側としては絶対にこの子を次の帝にしたいわけです。

 

ところが、左大臣はどうでしょう。

通常であれば年頃の娘を持っていれば、

やはり帝に入内させるか、皇太子に入内させますし、

皇太子からもその打診があったのですが、

左大臣光源氏という皇位継承権のない皇子の添臥(そいぶし)

(皇子の成人の儀式の際に皇子へ贈る子女。事実上の婚姻。

良家の子女であることが普通。)

として娘を差し出します。

 

左大臣は大切な娘を右大臣家に嫁がせることに抵抗があったので、

帝に添臥の件を打診していたというような表現がなされていますが、

深読みすれば、桐壺帝が光源氏を右大臣家から守るために

左大臣家を光源氏の後見人にしたいという意図があったので、

自然な流れを作ったのではとも読めます。

 

その上、誰よりもこの婚姻を喜んでいたのは左大臣本人で、

光源氏の大ファンである左大臣は、婿としての光源氏を下にも置かず、

自宅の光源氏の部屋はきらびやかに飾り付けられ、

いつ来ても良いように日ごろから準備万端整えて、

あげく、時には宮中まで迎えにいったりするほどでした。

 

一方で、左大臣の娘本人である葵上は、

自分が光源氏より年上であることに引け目を感じ、

また、光源氏が完璧なまでに何でも出来て美しいのにも負い目を感じて、

なかなか心を開こうとしない夫婦生活が続きます。

(葵上もかなりの美人であるのは間違いないのですが。)

孤独感から光源氏は、会えなくなった義母である藤壺の宮への思いを

募らせて行きます。

 

葵上こそは上臈中の上臈。

女性カーストのトップに君臨するような女性の典型です。

しっかりした家柄、躾、教養、美貌、、、

どれをとっても最高の部類ですが、

プライドも高く、感情を表に出すことはあまりありません。

たしなみの一つとして、感情的でない言動というものを

しつけられているからです。

 

後の段で「雨夜の品定め」と言われている、

光源氏や貴公子達が、自分の恋愛経験を語り合って、

どのカーストの女性が一番好きかと品定めする場面まで読み進めたら、

この話を思い出してください!!