小舎人童の源氏物語日記

源氏物語を広めています。

「紫式部日記」について①

今日は「紫式部日記」についてお話しします。

実は同じ内容をamebloにも書いています。

amebloとこちらで、

どんなふうに違うのかを実験したいので、

どちらも読んで下さっている方には、

重複をお許し下さいね。

 


紫式部日記」は、

式部がお仕えしていた、

藤原道長の娘である中宮彰子が、

出産のために道長邸に

宿下りしていた時の様子が描かれています。

 

当時、出産は非常にリスクが高く、

身分の高い女性は特に、

ほとんど動かないので筋肉もないため、

常に死のリスクがありました。

 


内裏で死ぬという事は禁忌です。

死は古事記

イザナミが死後に黄泉の国に行き、

会いに行ったイザナギが、

その死の穢れを禊ぎで落とすという場面が

あるように、

 


死者に触れた場合には、

禊ぎ期間が設けられて、

貴族であっても

しばらくは参内できませんでした。

 


ですので、

帝の子を宿していても、

出産時は実家に帰ります。

 


道長邸では、

たくさんの僧を招き

加持祈祷を行なっています。

当時、病や体調不良は全て、

悪霊による祟りとされていました。

 


出産時に彰子にも、

呪詛や他の女御たちの生霊などが

影響してはならないと、

事前に僧侶をたくさん招いて、

彰子を守る準備をしていたのです。

 


まだ古代ですから、

医療はほとんどなく、

そういう発想もないので、

現代人から見ると不思議ですが、

 


大切な娘とその赤ちゃんを守るために、

道長はできる限りの事を尽くします。

 


生まれてくる赤ちゃんは、

次の帝になり、

藤原家の栄華には欠かせない存在だからです。

 


紫式部は「紫式部日記」で、

道長邸の豪華さ、素晴らしさ、

加持祈祷の様子、

彰子が出産時にも気高く素晴らしいと、

全てを褒めています。

 


その筆致は、

まるで絵巻を読むような優雅さ。

 


、、、正直、

読者としては、

この日記の前半部分が、

どうしてもタテマエ感が否めず、

あまり面白いとは言えないのですが、

 


後世に名を馳せる、

藤原道長の屋敷がどのようなものだったか、

という事に思いを巡らせるには、

ちょうど良い参考資料なのでは、

と思います。

 


では、今回はこの辺で。

ごきげんよう

 

 

 

※拙ブログameblo「源氏物語日記」より転載

(同時公開)

 

 

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