小舎人童の源氏物語日記

源氏物語を広めています。

桐壺・其の四 平安時代のものの見方

平安時代のものの見方

 

前回の部分までで、

ちょっとよくわからなくなった方もいらっしゃいますよね。

少し解説が必要です。

 

まず、

「これも子ゆえに何も見えなくなっている親心」と訳したのは、

古文でよく見る、

「子ゆえの闇」と原文で表現されている部分です。

子供の不幸には親は気が動転してわけがわからなくなる。

という意味の表現です。

 

また、帝が『どのような前世からの因縁だったのか』と言っている、

この表現も、古文では表現は変わっても再三出てきますので、

覚えておくと良いと思います。

この時代の通常の感覚で、

けっしてスピリチュアルな思想ではありません。

何かとくに心が動くような男女の出会いや、

友人や親子の絆などの強さを感じる、または強い反感の場合でも、

きっと前世になにかあった相手なのだろうという表現で、

その関係性の大きさを表現しています。

桐壺の巻にも何回か出てきます。

まあ、ほぼ慣用句のような表現と言って良いと思います。

 

さて、ここまで読んで、物語に疑問点が二つ浮上してきます。

①桐壺更衣自身は帝の事をどう思っていたのか?

②帝が「更衣の存在のせいで自分が他人から恨まれてしまった。」

と言っているのはどういうことなのか?

愛していたのは自分の方じゃないのか?

、、、という問題です。

 

①に関して、桐壺更衣の感情を表現している文章は見当たりません。

しかし、考えるヒントとして、

彼女は元々は大納言を父に持つ良家の子女。

女性カーストの上位に位置するような

上臈としての教育を受けて育っています。

(「桐壺・其の二」で解説しています。)

上臈とはすなわち、ものの考え方まで教育されるので、

世間から一目置かれるような品格ある人格であるように

自分を律して、あまり表に感情を表さないものです。

この女性が、更衣という地位に甘んじて周囲から雑に扱われ、

さらには帝がご寵愛が過ぎて、

昼も夜も何かにつけてそばに侍らせるという女性としては

軽い扱い(妃の立場の女性ではなく女官のような扱い)を

していた事に対して、違和感や劣等感すら感じていたのではないか。

と推察されます。

 

もう一つは、この時代の貴族の家庭では、上臈というのは親の希望。

一縷の望み。と、前述しましたし、

母君もそのように語っていることから、

彼女は親の夢を実現するために身を差し出した。とも言えます。

この物語の進行は、「明石」の巻でも繰り返し使われていて、

当時は普通の慣習であったとしても、

紫式部にとっては重要な意味を持つテーマであると考えられます。

 

次に②ですが、

帝の言葉をもう少しかみ砕くと

「こんなに我を忘れるほど好きになってしまった挙句、

周りから思ってもいなかった非難(後宮の女性たちだけでなく、

官僚などからも政治がお留守になっているとか、

玄宗皇帝と楊貴妃の例をだして非難されるなど)を浴びたり、

突然亡くなってしまって心にぽっかり穴が開いてしまい、

悲しくてどうにかなりそうなのは、

どんな前世からの因縁なのだろう。」という意味で、

つまり、我を忘れるほど魅力的な女性だった。

と言いたいので、「あいつのせいだ。」と怒っているのとは違います。

悲しすぎてちょっとした悪態をついているくらいに

解釈するのが現代的でわかりやすいかと思います。

 

平安時代は相手に恨み言や嫉妬をほのめかすのが

愛情があるという表現ですから、

その延長上にある慣用的な言葉遣いと考えてください。